20年近く前に始まったテクノロジーの第1波で、新聞産業が、レコード音楽産業が、写真フィルム産業が破壊されたのを、あなたはその目で目撃したかもしれない。現在、ホテルやタクシー業界、小売業界でも同様の破壊が進行中であることを、あなたはおそらくご存じだろう。ウーバーやエアビーアンドビー、万能の巨人アマゾンなどの企業により、デジタルの竜巻がビジネス環境を作り変えている。
しかしながら、デジタルディスラプションが起きていると知っていることと、それについて何らかの行動を起こしていることとは、まったく別の問題だ。こうした破壊に対して、どの組織にも十分に練られた戦略とアクションプランがあるのではと、多くの人が思うかもしれない。ところが、ちょうどハリケーンやサイクロンの被害に遭いやすい地域の住人が、実際に嵐に襲われると不意を突かれたかに見えるように、現実はまったく異なる。
わたしたち(『MITスローンマネジメント』誌とデロイト)は調査で、所属業界で生じる可能性が高いデジタルディスラプションに対して、自分の企業が適切な準備をしているかどうか質問した(図1-1)。
回答者の44%は十分な準備をしている、31%は十分な準備をしていない、25%が否定も肯定もしなかった。デジタルディスラプションが業界に影響を与えると回答した87%という数値と、自分たちの企業は十分な準備をしていると答えた44%の数値の差は、一言で言うと衝撃的である。誰もが(もしくは、ほとんど誰もが)デジタルディスラプションが起きていることを知っている。それなのに、自分たちの企業が有効な対策を整えていると答えた人は、半数にも満たなかった。
なぜ企業はデジタルディスラプションの脅威に対し、喫緊の課題として対応していないのだろうか? 幹部が変化を起こせるほど、あるいは緊急性が必要だと理解できるほど、幹部にはテクノロジーの知識がないのかもしれない。取締役と投資家は、企業の長期の可能性よりも短期の利益を重視しているのかもしれない。多くのリーダーは単に、定年まであと何年か指折り数えているだけなのかもしれない。だから、先のことは自分にはもう関係ないとして、企業を未来に適応させるために必要な変化に関わろうとする活力や関心が湧かないのだ。
このどれもがありうる話だろう。けれども、わたしたちが探り当てた理由の中で最も多かったのは、単に企業は相反する多くの優先事項のバランスを図ろうとしているから、というものだった。デジタルの未来に向けて準備をしながら、現在の事業を継続していくのは困難である。
定評ある企業は特に、デジタルディスラプションのもたらすいくつかの大きな課題に直面するが、最大の課題は「過去の成功」だ。これは、マネジメント用語で“能力の罠”と呼ばれるものだ。能力の罠とは、過去の成功要因が未来の成功へと導くという信念のことだ。テクノロジーにより、顧客に価値観を伝える新たな方法と新たなサービスの機会が提供され、競争環境が変化している最中なので、過去の成功要因は将来の成功に結びつかない可能性がある。発展しつつあるデジタルインフラにより可能になったビジネスチャンスを企業が利用するに当たり従来のプロセスやマインドセットを変えないのであれば、既存もしくは新規の競争相手が、従来のプロセスやマインドセットを変えることになる。
「学習の文化」と「成長のマインドセット」をいかに育むか
デジタルディスラプションの知識と行動の乖離(かいり)についてもう一つカギとなる理由は、この脅威が出現するスピードを多くの企業幹部が理解していない、ということだ。彼らの多くは行動せずに、この破壊の証拠を企業収益に見つけようと待ち構えている。だが証拠が現れる頃には、もう手遅れになっている恐れがある。迫りくる脅威を見極め確定するツールとして、遅行指標は有効ではない。例えば新聞業界の利益は、ITバブルを迎えても順調に伸びていたが、その後急激に落ち込んだ。
企業幹部の多くは、脅威が出現しても逃げ出せるし、テクノロジーに多額の投資ができると考えている。時宜を得て対応する能力を過信する傾向があるだけに、彼らには早期警告システムが必要だ。私たちがインタビューした、現在デジタルトランスフォーメーションに最大の労力を注いでいる企業の経営陣の多くは、すでに遅過ぎたのではないかとひそかに疑問を抱いている。
デジタルディスラプションに対する取り組みの中心が学習と適応ならば、長年にわたり同じ方法で物事に当たってきた、年季が入った企業(や個人)にとってはどんな意味があるのだろうか? 「年をとった犬に新しい芸は教えられない」という古い格言があるように、人(それに組織)は年を重ねるにつれて考え方が固まり、同じやり方に固執するようになることが知られている。実際、それ以外の知的能力があっても大人は新しい言語の習得に苦労するのに、子どもがやすやすと言語を習得するのには驚かされる。
デジタルロールモデルと見なされることの多い、スタートアップを見てみよう。地位を確立した大手企業よりも敏しょうで、学習と適応のスピードが速いというイメージが、スタートアップにはある。また革新的で創造的だとも見られている。子どもと同じように、スタートアップの組織中枢部には柔軟性があり、極めて高い学習能力がある。
だが組織というものは、時間がたつにつれ、大人の学習を妨げる化学抑制剤のようなものを生み出す傾向がある。それどころか、行動を起こすとき、物事をやり遂げるとき、すでに知っていること(そして過去に成功へと導いたこと)にフォーカスする傾向がある。学習や成長、イノベーションよりも、生産性や効率性に集中しがちになる。創業から時間がたち、安定を得た組織にとってカギとなるのは、組織の学習を妨げる抑制剤を見つけ出しそれに対処すること、そして「学習の文化」と「成長のマインドセット」を組織で培うことである。
※本連載は、『DX経営戦略――成熟したデジタル組織をめざして』(NTT出版、2020年)からの抜粋をもとに作成しています
<著者について>
ジェラルド・C・ケイン
ハーバードビジネススクール客員研究員、ボストンカレッジ教授。『MITスローンマネジメントレビュー』や『MISクォータリー』の編集にも携わる。
アン・グエン・フィリップス
デロイトインテグレーテッドリサーチセンターのシニアマネージャー。組織のリーダーシップ、人材、文化へのデジタルテクノロジーが与える影響について研究する。
ジョナサン・コパルスキー
マーケティング理論家、成長戦略家。ブランド、マーケティング戦略、コンテンツマーケティング、マーケティングテクノロジーなどで35年以上の実績をもつ。
ガース・R・アンドラス
デロイトコンサルティングLLPのプリンシパル。デロイトコンサルティング取締役会メンバー。