国の事業として始まった失敗知識データベースは、産業界の事故事例を1000件以上集め、めぐりめぐって今は失敗学会が公開、管理しています(注1)。最初に手がけたのが、それまでなかった検索機能の開発です(注2)。
以前はトップダウンの目次から事例のカテゴリをクリックし、表示される題名で目的の事例を探すしかありませんでした。検索機能の開発により、記事内容の全文検索が可能になりました。同じような検索は、グーグルのサイト内検索でも可能ですが、テクニックを覚え、知恵をめぐらせなくても、失敗知識データベースの入り口から分かりやすい形でその機能が提供されているのが便利です。
失敗学会ページへのアクセスは毎月カウントしており、訪問数は毎月15万程度です。訪問数はヒット数とは違い、何人が見ているかという数字に近いものです。失敗学会ホームページのヒット数は、訪問数の15倍程度となりますが、あまり意味のある数字ではありません。月15万の訪問数であれば、1日平均5000人程度が訪れています。それまでの失敗学会ホームページアクセスのおよそ10倍ですから、世の中のニーズが高いことが分かります。
失敗知識データベースの特徴は、記述のデータ構造を統一したことと、失敗原因のまんだらを考え出したことです(注3)。これは失敗原因を10個の大分類に分け、それらを円状に配置し、それぞれをさらに2個から4個の細かい分類に分けてその外側に配した図です。結果、失敗原因の全体像が仏教のまんだら図のようになったので、この名前が付きました(図1)。
■図表1 失敗原因のまんだら図
失敗まんだらのルーツは、1996年に出版された『続々・実際の設計─失敗に学ぶ─』(畑村洋太郎、実際の設計研究会)(注4)にあります。何年もかけて練られたものであるので、バランスがいいばかりでなく、他分野にも応用できます。会社や特定の業界、あるいはもっと小さな組織単位や個人でも失敗知識データベースを構築し、失敗原因のまんだらを作成できるので、その手法と応用例を紹介します。
失敗知識データベースの構築
データベースの構築ですから、どんなに素晴らしいものができても、データがなくては入居者のいないマンションのようなものです。まずは事例に関する情報を集めなければなりません。どれくらい集めればよいかというと、50件が目標です。
『続々・実際の設計』では、100件余りの事例を収集し、失敗原因まんだらの構築につながりました。後出の2つの応用例では、50件程度を収集してそれぞれの分野のまんだらを作成しました。50件もあれば失敗知識データベースの構築、その成長の種としては十分でしょう。
情報の集め方は、組織内での応用を考えているのであれば、事故報告書、不具合報告書でも十分です。ただし、漫然と集めてよしとしたのでは不十分で、共通の記述を念頭に情報をまとめ直すと、後の知識共有に大いに役立ちます。
失敗学会の失敗知識データベースのデータ構造は、最初の構想(注5)から発展し、今では概要、経過、原因、対処、対策、知識を必須の項目とし、それぞれを独立させて記述しています。その他補遺項目として、背景、後日談、よもやま話も追加できることとしました。発生日時は年月日、発生場所は行政区と場所タイプ(工場、学校など)を記録します。
原因情報の抽象化を行う…
こうやって情報を整理し直したら、今度はまんだら構築に向けて、原因情報の抽象化を行います。失敗学会の失敗知識データベースでは、原因に加えて、行動、結果の3項目を抽象化した言葉の連鎖で「シナリオ」としていますが、原因まんだらの構築には、シナリオの原因部分を定義すれば十分でしょう。
ここでシナリオに使用する言葉に悩んだら、失敗学会の失敗知識データベースで公開しているまんだらの言葉を使用するのも一案です。ただし、業界が変われば、使用される言葉も違うでしょうから、既存のまんだらの言葉にとらわれる必要はありません。
次に、このようにして抽象化した失敗原因のシナリオを集め、共通部分の抽出を行います。業界なりの言葉を使ってシナリオを記述したのなら、まず同じ意味を違った表現で表している言葉を見つけ、共通化することです。こうして抽象化、共通化ができたら、失敗原因の大分類も簡単に見つけられるでしょう。
失敗学会の失敗原因まんだらは、大分類を「未知」、「無知」、「不注意」、「手順の不遵守」、「誤判断」、「調査・検討の不足」、「環境変化への対応不良」、「企画不良」、「価値観不良」、「組織運営不良」の10個としています。10個程度にまとめることができなければ、似たものを集め、それらを上位概念でくくります。
そして大分類から下位に派生する言葉を2つから4つ程度に絞ります。ここでまた絞れなければ、グルーピングが甘いということです。このように、どのような業界、組織、あるいは個人でも、自ら失敗知識データベース、失敗原因まんだらを構築できます。事例情報を50件程度集めるところから始まるので、複数人のチームを構成するのが現実的ですし、作業にやりがいを感じられます。
失敗知識データベースの応用例
失敗知識データベースが公開された後、同時に公開されたデータ構造の説明を受け、独自の失敗原因まんだらを構成した組織があります。2012年度から2014年度まで開催された中部圏産学連携会議(注6)とIBMユーザー研究会の1グループです。私はアドバイザリーボードの一員として前者に参加しました。後者の中心的役割を果たした佐伯徹氏は失敗学会に加わることになり、2014年の失敗学会年次大会でその内容を発表しました。
前者のまんだらは、ハンドブックとして公開されており(注7)、後者のまんだらも日経xTECHから閲覧可能です(注8)。同様の開発が、私の知らないところで進行していてもまったく不思議ではありません。
事故防止に役立つ意図検索
上述のように、失敗知識データベースの開発時には、原因、行動、結果を抽象化してシナリオを各失敗事例に定義しました。しかし、人はこれから何か行動を起こそうとするとき、失敗をするとはまったく思わないので、原因や失敗を起こす行動には思いが至りません。そこで重要になるのが、「意図」の記述です。失敗を発生せしめた人は、何を思っていたかです。
例えば、幸い事故には至らなかったものの、2017年に新幹線のぞみ号台車亀裂事件がありました。原因は台車製造時の不具合でしたが、予兆がいくつもあったのに運行を継続したのが問題とされました。この時の意図は、列車をスケジュール通りに運行させるということで、この思いと安全を守る思いとのバランスが悪かったのです。この意図を記録しておくと、次に「スケジュール通り」という意図を持った人が、そのキーフレーズで過去の記録を調べると、あわや大事故というこの事例がヒットします。台車亀裂というキーフレーズで検索しようとは思わないのです。
冒頭で説明したように、失敗知識データベースの構築は、事故や失敗に関する情報を必要とする世間からのニーズが高いものです。その構築の努力は、事例の整理、知識としての共有を促す意味で、失敗を繰り返さないことに確実に寄与しています。今後さまざまな分野で展開されることを期待しています。
注1:失敗知識データベース継受、失敗学会、2017年
注2:失敗知識データベース検索機能開発、失敗学会、2018年
注3:失敗知識データベースの構造と表現、畑村洋太郎、2005年
注4:『続々・実際の設計-失敗に学ぶ-』、畑村洋太郎、実際の設計研究会、1996年、日刊工業新聞社
注5:失敗知識データベース構築の試み、畑村洋太郎、中尾政之、飯野謙次、情報処理学会、「情報処理」2003年7月号、44巻7号、p733-740
注6:中部圏の地域・産業界との連携を通した教育改革力の強化、2013年、中部地域大学教育改革推進委員会
注7:アクティブラーニング失敗事例ハンドブック、亀倉正彦、文部科学省「産業界ニーズに対応した教育改善・充実体制整備事業」2014年度 東海 A(教育力)チーム
注8:失敗繰り返すITプロジェクト、「成功曼荼羅」で真因究明、佐伯徹、2018年、日経xTECH