新たなビジネス発想の方法として、世界的に注目を集める「サービスデザイン」。そのポイントは、顧客が自覚していないレベルのニーズなどに対して、顧客との共創関係の中で価値を提案し、持続的な関係を継続できる仕組みを創りだすこと。そして、自社と顧客の双方のみならず、多様なステークホルダー間で価値を共有し、循環できるビジネスを実践する点にあります。その具体的な思考方法について、本連載では『サービスデザイン思考「モノづくりから、コトづくりへ」をこえて』(NTT出版)で知られる井登友一氏が解説していきます。
ビジネスの世界で以前からデザインに関心が高まっていることは、感度の高い読者の皆さんはお気づきのことかと思います。革新的な製品開発のための手法として「デザイン思考」が注目されたり、わが国の企業競争力を向上させるための取り組みとして経済産業省と特許庁が2018年に大々的に発表したマニフェストである「『デザイン経営』宣言」などは、皆さんの記憶にも新しいことでしょう。このように昨今ビジネスの領域で語られる「デザイン」は、一般的にわたしたちがデザインと聞いて思い浮かべる「色・モノ・形をつくる」ことよりも、もっと大きな範囲を意味しています。
先に紹介した経産省・特許庁によるマニフェストでは、デザインを図1で示すような複層的な範囲を対象として捉えており、デザインが対象とするものが従来の意匠や造形のみならず、より広範囲にわたる顧客体験(UX)や製品・サービス全体の包括的な構想にまで広げられつつあります。さらには、製品・サービスのレベルすらも飛び越えて、ビジネスモデルや事業のエコシステム全体を考える経営そのものすらも、デザインが取り扱う範囲であると捉えられ始めているのです。
ますます広がりを見せているデザインの役割や意味について、ノーベル経済学賞を受賞したハーバート・A・サイモンは『システムの科学』(パーソナルメディア, 1999)の中で「誰もが既存の状況をより良いものに変えるためにデザインをしている」と述べています。サイモンのこの言葉を「デザインとは、現状の状況を今よりも良いものに変えていこうとする営み全般」だと捉えると、デザインという行為が、まさに企業活動そのものと重なりつつあることに気付くのではないでしょうか。
このような潮流の中で、わたしはひとりのデザイン実務家として、より良いビジネスをつくっていくためにもっとデザインが役に立てることがあるのではないかと考え、『サービスデザイン思考「モノづくりから、コトづくりへ」をこえて』(NTT出版, 2022)という本を書きました。この本でわたしは、近年日本でも徐々に注目され始めている「サービスデザイン」という考え方を通して、さまざまな製品やサービスをたったひとりからでも今よりも良いものにしていくためのいろいろな方法論やヒントについて提案しています。
本連載では、読者の皆さんが関わっていらっしゃるビジネスをより良いものにするためのアイデアについて、拙著『サービスデザイン思考』をネタに使いつつ、本には書かなかったことや書けなかったことを中心に話題を提供しながら皆さんと考えていきたいと思います。
ところで、拙著のタイトルにも掲げている「サービスデザイン」という言葉について、読者の皆さんは耳にされたことはありますか?おそらく、「サービス」という言葉と「デザイン」という言葉、それぞれについては当然ご存じだと思います。しかし、これら2つの言葉がひとつに合体して「サービスデザイン」となると聞いたことがない、もしくは耳にしたことはあるけど、どういう意味なのかはよくわからない、という方が多いのではないでしょうか。
サービスデザインの定義については、先ほどご紹介した拙著で詳しく説明していますが、理解のポイントとなるのはここでいう「サービス」という言葉の意味が、わたしたちが日ごろよく耳にする「サービス」とはちょっとばかり違っているという点です。
「サービス」と聞いて皆さんがイメージされるのは、カフェでの接客や、製品のアフター対応など、物理的な「モノ」としての製品ではなく、人によって提供される触れることができないけれども何かしら有益な「体験(経験)」ではないでしょうか。
サービスをそういうことだと捉えるとすると、サービスデザインは、
物理的な「モノ」としての製品ではなく、人によって提供される触れることができないけれども何かしら有益な「体験」をデザインすること
と説明することができますし、この解釈は決して間違ってはいません。ただ、本連載で扱おうとしているサービスデザインの視野から見るといささか狭い捉え方でもあるのです。
ビジネスの「サービス化」ってどういうこと?
「モノからコトへ」という考え方の広がりと関連して、ビジネスの「サービス化」という言われ方もよく耳にするようになりましたが、この言葉も少々誤解されがちです。
ビジネスを「サービス化」するということは、決して自社の商売を「サービス業」的にして、店舗やオンラインでの顧客対応やメンテナンスなどのアフターサービスを強化する、という意味ではありません。
SaaS(Software as a Service)や、MaaS(Mobility as a Service)といった言葉を耳にされたことがある方は多いのではないでしょうか。
SaaSとは、ソフトウエア製品をパッケージソフトとして買い切りで購入するのではなく、オンラインでダウンロードしたソフトウエアを月額や年額などの形で使用料を支払って使用するサービスで、多くの場合機能のアップデートや、不具合の改善などが使用料に含まれているため、ユーザーは常に最新の状態でソフトウエアを活用することができるのです。
MaaSは、これまで自動車は対価を支払って購入し、修理や車検などの度に販売店などに持ち込んでメンテナンスやアフターサービスを受けながら使用するものでしたが、車体そのものを購入するのではなく、月額などの定額費用を支払うことで、自動車を使う権利を購入することができるサービスで、故障した場合や数年おきに新しい車に入れ替えする際の費用も、先ほどのSaaSと同じように定額費用に含まれます。
これらのSaaSやMaaSのようなビジネスは、製品としてのソフトウエアや自動車を「所有する」ことにではなく、「常にソフトウエアの最新機能を使える」や「常に快適で安全に移動ができる」という結果としての機能を「使用する」ことに価値の主眼を置いているという点で、従来型のモノを中心においた製品の考え方と一線を画するものとして、昨今注目を浴びています。
このようなビジネスこそが、これまで述べてきた「モノ」と「サービス」を分けて考えず、顧客が製品やサービスの使用を通じて「常に最良の状態になる」ことを価値として提案するサービスデザイン的なビジネスと言えるでしょう。
つまり、ビジネスの「サービス化」という言葉の真意は、サービスという言葉がさし示す意味を、わたしたちが一般的にイメージする日本語でいうサービスから、顧客と企業が共につくりあげていくべき関係性の全体像へと、ビジネスをつくっていく視点を大きく転換する考え方にあるのです。
このような視点の大転換はビジネスにおける「『小さなサービス』から『大きなサービス』への転換」とでも言えるかもしれません。これについては、次回のコラムで詳しくとりあげたいと思います。
本連載におけるサービスデザインの定義
本稿の結びとして、ここまで話してきたことを踏まえつつ、以降の連載で詳しく扱っていく予定の視点についてもちょっと先回りして含め、本連載におけるサービスデザインの定義をわたしと皆さんとの今後の共通理解のために次のように整理します(拙著20頁より引用)。
サービスデザインとは、顧客が自覚していないレベルのニーズや欲求に対して、顧客との共創関係のもと価値を提案し、良い関係を持続する仕組みを持った製品・サービスを創りだすこと、それによって、自社と顧客の双方のみならず、多様な利害関係者間で価値を共有し、循環できるビジネスの実現をめざすもの。
以降の連載では、先ほど整理したサービスデザインの定義を形づくっているいくつかの重要なポイントについて具体的に説明しながら、サービスデザインの考えを用いて皆さんがより良いビジネスを考え、つくっていくための方法論やヒントを学んでいきましょう。