イノベーションは、欲望という名の非合理が生みだす
前回のコラムでは、顧客の「心の声」をすくい上げるにはどうすればいいか、について考えました。一般的な消費者は、自分が本当に欲していることの95%を意識できていないので、無意識下の欲求や欲望を理解することが革新的な価値の提案につながる大きなヒントになるのを理解いただけたと思います。
企業のイノベーションを支援するコンサルティング会社として著名なドブリン・グループ(現在はデロイトが買収)共同創業者のラリー・キーリーは、革新的な製品を実現する際に欠かせない重要な視点として、①フィージビリティ(技術的に何が実現可能か?)、②バイアビリティ(十分な市場性はあるか?)、③デザイアラビリティ(顧客が本当に欲しているものは何か?)の3つを挙げています。
図1:イノベーションを生み出す3つの視点(ラリー・キーリーの概念を基に筆者作成)
ラリー・キーリーはこれら3つの視点のうち、飽和的な市場や経済状況の中でブレークスルーを引き起こすために最も重要なものとして③デザイアラビリティを挙げています。“desirability”という語が示すように、革新の原動力になるのは顧客にとってすでに自覚されたニーズや問題ではなく、無意識化に深く潜んでいる欲望(desire)だと言えます。
では、なぜニーズや問題として自覚されるもっと手前の段階である欲望の多くは自覚されず、無意識下に潜んでいるのでしょうか。それは、そういった類いの欲望は既存の価値観や常識から見ると合理的ではない場合が多いからです。ここでいう「合理的」とは、「理屈で説明がつく」といった意味で用いています。つまり合理的とは、何かしらの解決策があるとして、それが求められる理由や原因がハッキリ分かっており、なぜその解決策が正しいのかを説明できる状態です。
そういった合理的に説明がつくものの多くは、すでにニーズや問題として顧客が自覚できています。企業もそれらのニーズを充足することや、問題を解決することで顧客がより満足することを理解できます。
しかし、無意識下の欲望は、合理的に説明がつくようなレベルのニーズや問題とはまったく異なる次元で湧きあがりつつある「未来のニーズや問題」のようなものなのです。ですので、それらは現時点で常識とされている価値観や顧客ニーズの延長線上には見えてこないのです。つまり、既存の価値観や常識を疑い、うがった見方で顧客の無意識の中で生まれつつある欲望を見つめる視点が必要になります。このような視点が「批判精神」なのです。
「批判精神」で欲望をあぶりだす
批判という言葉は、特に日本ではネガティブな意味として使われることが少なくありません。例えば相手を非難したり、意見を否定するといったニュアンスです。しかし、批判がさし示す本来の意味はもっと建設的なものです。
以前のコラムでも紹介した「意味のイノベーション」を提唱するロベルト・ベルガンティは、意味のイノベーションにおける2大原則の一つとして批判精神を挙げています(もうひとつの原則は「内から外へのイノベーション」)。
ベルガンティは、批判の意味を次のように説明しています。
批判精神とは、否定的になることではない。より深く関係性を探り、緊張状態を生み出し、差異を議論し、新たな秩序を見つけるために、モノゴトをシャッフルし直すことなのだ。
(『突破するデザイン』 日経BP社, 119頁)
つまり本来の批判とは、従来常識とされている価値観を疑い、目を凝らして新たに生まれつつある変化を見いだすことで、既存の価値体制にくさびを打ち込み、新たな価値の芽生えを見いだすことなのです。これはある意味で、マーケティングの世界でよく言われる「インサイト」を見いだす行為そのものだとも言えるのではないでしょうか。そして、本来の批判を実践するためには、顧客が求める現状のニーズや問題に対して同じレベルで応答するのではなく、そこからあえて距離をとって「よく見る」ことが重要になるのです。
「お客さまは神様」という考えからの脱却…
世間の多くの人がすでに欲しいと言っているような、すでに顕在化したニーズを安易に扱わないという点では、昨今マーケティングや製品開発の領域で「N=1発想」という考え方が注目を集めています。一般的にN=1発想は、たった1人の顧客がもっているニーズを深掘りすることで、汎用的ではないとがったアイデアを生み出そう、という考え方です。ついつい不安になって、少しでも多くの顧客のニーズに幅広く応える方向性になりがちなやり方とは違い、「たった1人」の重要な顧客にフォーカスする点で、ペルソナの考えにも近いとても面白いアプローチです。
ただ、ここで注意が必要なのは、たった1人の顧客のニーズにどれだけ深く応えたとしても、それは結局のところ、既存の価値体系の中に閉じこもったままの状態から何ら脱却できていない、という点です。その1人の人物だけを「周囲から分断された個人」として見るのではなく、その人が生きている社会や環境、時代性に視野を広げ、1人が欲するものを抽象化して捉え直すことが重要です。
顧客やユーザーにとって価値のある製品・サービスを考えるうえで、ユーザー中心発想であることはもはや当たり前の必須要件です。ただ、既存の価値観や常識から脱却するような革新的な価値を提案しうる製品・サービスを生み出すためには、もはやユーザーだけを中心に据えて神様のように絶対視するのではない、ユーザー“脱”中心発想すらも、私たちには必要とされているのかもしれません。
そのうえで、自社にとって提案する価値が何かを決めることが必要です。N=1発想の本来の解釈は、「企業として、たった1人に贈りたいと願う信念を、覚悟を持って決断すること」なのではないでしょうか。
そのような決断(判断)は、データをもとにした合理的・論理的なものとは限りません。常識的に考え、合理的に分析すると正解はこうなんだろうけれども、それでは新しい楽しさは何も生まれないし、つまらない。そんな中でも、何かこれまでにはなかったような喜びや経験を顧客に提案しようと考えるとき、現状すでに安定していて、誰も異議を唱えようとはしない既成概念にわざわざ「裂け目」を入れて問題提起することが必要になる場合もあります。その原動力こそが批判精神なのです。
「間主観」的な視点でインサイトを導き出す
批判精神によって既存の価値体系を解体し、新たな価値を見いだすうえでリサーチから得られた気づきや発見などのデータが重要となることは十分ご理解されていると思います。ただ一方で、それらのデータを「客観的」に分析するだけでは、価値を見る新しい「ものの見方」を得ることはできないのです。
前回のコラムでは、「コラージュ法」や「文章完成法」といったリサーチ方法を用いて、顧客や消費者のメンタルモデルを理解するカギとなるメタファーを見いだすことの重要性を説明しました。そのようにして見いだしたメタファーを手がかりに顧客や消費者の隠されたメンタルモデルを理解することが、顧客にとって高い満足を得られる製品やサービスを発想する大きなヒントになります。
ここでいういまだ明確にニーズとして言語化されていない顧客や消費者のメンタルモデルは、一般的にはインサイトと呼ばれるものと同じような意味合いを持つものだとも言えるでしょう(拙著でも詳しく説明していますが、インサイトとはあるモノゴトを見る新たな視点を意味します)。
従来常識とされているものとは異なる視点を見つけ出し、人々にとって新たな価値となりうるものを決定づける隠されたメンタルモデルを見いだすためには、定性的なリサーチ(前回コラムで紹介)を通じて得られたデータの分析が必要になります。
このデータ分析という行為は客観的な作業と捉えられがちですが、実はそうではありません。では、主観的な行為なのか、というともちろんそれも違います。主観的でも客観的でもないなら一体なのか? ここでは、「間主観的(相互主観的)」(inter-subjective)という哲学用語をつかって説明してみましょう。
間主観的(相互主観的)とはドイツのフッサールという哲学者らが提唱した現象学という学問で用いられる概念です。すごく簡単に説明すると、世界には主体と客体があらかじめ明確に分かれて存在しているのではなく、複数の主体が同時に存在していて、それぞれ複数の主体同士がお互いに関わりを持ち合うことで関係性が生まれる。そして、その関係性の中で、ある時はある人が主役の役割を与えられたり、またある時には別の人が主役に変わったりすることで世界は成立している、という考え方です。
つまり、コラージュ法やデプスインタビューのような探索的なリサーチは、調査者が主体で調査協力者が客体でも、その逆でもありません。調査する側とされる側が会話やビジュアルを媒介とし、互い主体と客体の役割を交換し合いながら相互に影響を及ぼし合うことで、普段は無意識にしていた感情を自覚したりする相互行為なのです。
ですので、インサイトは丁寧に手順を踏んでリサーチを行い、データを集めて客観的に分析すれば自動的に出てくるものではありません。調査者自身もリサーチの現場に主体でも客体でもない立場でひたすら没入し、そこで身体的なレベルや感性的なレベルで感じたことや理解したことをもとにデータを解釈して新たなものの見方を「意思を持って見いだす」、間主観的な行為だと言えます。これを理解いただけると、今後のリサーチ活動をより深みのあるものにしていくための手がかりになるのではないでしょうか。
「解くべき問題」から「未来の問い」へ
今回は、批判精神によって見いだされる新たなモノゴトの見方=インサイトを通じて、既存の価値観や常識を革新するような新たな価値を見いだすことの重要性について考えました。
製品開発やマーケティングでは、顧客の問題解決がとても重要視されます。問題解決が大切なのは当然疑うべくもないことです。しかし他方で人々は問題を解決してくれるもの以上に、自分をもっと輝かせてくれるものや、新しい喜びを与えてくれることに魅了され熱狂するのも、これまでの連載で論じてきました。しかし、製品開発やマーケティングの現場では、いま常識とされている価値観や、顧客からの要望をわざわざうがってみることは常ではありません。なぜなら、その方が効率がいいし、合理的に説明できるからです。
そのような既成概念で凝り固まった状況にあえて異議を申し立て、裂け目を入れることで新たな可能性を考える原動力となるのが批判精神なのです。
既存の価値体系の中で「解くべき問題」としてすでに確立された問題だけでなく、今後つくられていくかもしれない新しい価値体系における「未来の問い」になり得るものを先回りして打ち立てていくことが、革新的な製品・サービスのデザインへと私たちを導いてくれるでしょう。